『津波てんでんこ』を釜石での実例から学ぶ、本当の意味を知らずに道徳批判してはいけない

震度7に耐えた本棚

東日本大震災で甚大な被害を受けた東北地方は、これまでにも幾度となく大きな災害に見舞われ、そのたびに多くの人が犠牲となってきました。
「津波てんでんこ」はそんな東北の三陸地方で伝承されている災害教訓で、津波に襲われた際には、各自てんでばらばらになって逃げろという意味合いがあります。
そもそも、「てんでんこ」は「それぞれ」や「各自」を指す方言で、端的にいうと津波てんでんこは「津波は各自で」となりますが、やや言葉を補うと、「津波から逃げるときには自分の命は自分で守り、各自ばらばらに安全な場所へ逃げろ」といった意味になります。
この災害教訓は代々三陸地方において親から子へと伝えられていましたが、1990年に開催された「全国沿岸市町村津波サミット」で行われたパネルディスカッションにより、現在では標語となっています。

津波防災の啓発として注目されている津波てんでんこですが、津波がきたら家族や他人のことはかまわずに自分だけで逃げろという意味を持つために、薄情であるとか、自分だけが助かればいいという自己中心的な考え方だと受けとられることが少なくありません。
言葉の意味を知らせた上で行われた調査でも、約7割が賛同しないと回答した結果も残っており、利己主義的でネガティブな受けとめをされることが少なくないようです。
このようなことから、防災関係者からは表面的な言葉の意味だけが一人歩きすることを懸念する声も聞かれます。
このため、津波てんでんこという言葉を繰り返すだけでは、防災に生かすことは不十分で、丁寧に言葉の意味を丁寧に説明していくことが必要だといわれています。

このように、ネガティブな意味合いで伝わってしまいがちな津波てんでんこではあるものの、本来は4つの意味が多面的に盛り込まれているといわれています。
その1つ目は自助の重要性で、災害対応ではしばしば自助、共助、公助の3つが必要とされますが、このうちまず最初に求められるのは自助で、誰かが助けてくれるだろうとは思わずに、自分の命は自分で守るのが大前提ということです。
また2つめは他者の避難行動の促進で、自分が率先して非難することで、その姿を見た人々が危機感を持ち、避難意識を持つということがあります。
さらに3つめは、、津波が発生したら、助かってほしいと願う人もまた、自分と同じように間違いなく避難するであろうという前提の上に成り立った、お互いの信頼関係をあらわしています。
そして、4つめは津波てんでんこと約束しておくことで、生存者が犠牲者に対し、なぜ自分だけが生き残ってしまったのかという自責の念や罪悪感を低減するという意味もあるのです。

津波てんでんこという教訓が生かされたケースはいくつか見られますが、もっとも知られているのが、東日本大震災の際の「釜石の奇跡」です。
これは、津波てんでんこという防災訓練により、釜石市内の小中学校の児童・生徒がこれを実践し、被害を最小限にとどめたというものです。
実際には津波が発生した際、小中学校では点呼などはとらずにそれぞれが迅速に避難場所へと避難しました。これにより、多くの児童・生徒が津波に巻き込まれるのを免れたのです。
東日本大震災では大変多くの命が津波によって奪われてしまいましたが、釜石市の小中学生の生存率は実に、99.8%にのぼります。
これは、津波てんでんこを合言葉に、防災教育に取り組んできた大きな成果の一つともいえるでしょう。

防災にはこれが最善で絶対に正しいといえることはありません。結果としてさまざまな正解があることも少なくなく、悩むことが多いものです。
たとえば、「この場所にいれば、絶対に津波がくることはない」という明らかに間違った考え方はありますが、津波てんでんことはいうものの、大切な人を見捨てて逃げることはできないという考え方は必ずしも間違いとはいえないでしょう。
しかしながら、東日本大震災の被災地では、地域の防災を担っていた人々も多く亡くなり、現在でも災害対策がままならないという状況が起こっています。
防災における最優先事項は人的被害の軽減であり、どうすればそれが実現できるかということであるのはいうまでもありません。

スポンサーリンク
広告(大)
広告(大)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
広告(大)
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。