大阪北部の地震での教訓~通学路の安全の確保

あの日、地震が発生した時刻は、児童の登校時間と微妙な関係にありました。
普段から早く登校する児童の中には、すでに学校に到着していた者もいました。
また、集団登校の途中だったケースもあります。
まだ、家を出ていなかった児童もいるでしょう。
集団登校のない学校では、個別に児童がそれぞれの通学路を歩いている途中に、地震に遭遇する時間帯でした。
すでに登校していた児童は、先生の指示に従って行動することでいくらか不安は軽減したかもしれません。
集団登校中だった子供たちは、どうだったでしょう?
たいていの集団登校では、五・六年生の上級生がリーダーで、中には一年生や二年生を含みます。
子供たちだけの集団が、路上であの揺れに襲われたときの混乱ぶりはいかばかりだったか…。
泣き出す子もいたかもしれません。
学校へ向かうか、家に戻るか、歩くが止まるか、上級生とはいえ小学生が判断できる範囲ではなかったと思われます。
集団登校中に地震が起こったら…という訓練がされていたのでしょうか?
どうすべきだったか、後になっても、大人でも、正解はわかりません。
とはいえ、集団登校する子供たちには、今後のために、なんらかの指針、アドバイスが必要ではないでしょうか。

ある地域では、登下校の交通安全ボランティアをする近隣の商店のおじさんが、怯えている子供たちを集めて店の中に避難させ、揺れが収まるのを待ってくれました。
子供たちは、何人かが一緒で、顔見知りのおじさんに守られて、さぞかしホッとしたことだと思います。
ところが、保護者の一人は、通学路まで我が子を探しに出て、誰の姿もないので大慌てで探し回ったようです。
また、姿が見えないので、登校したと思って安心、学校に確認する術もなく、そのまま出勤した保護者もいました。
登校中だった子供たちの中には、その後、家に帰ることを選んだ子もいたようです。
大人が混乱する中で、子供たちはどんな気持ちでいたでしょう。
学校側は、登校した児童については保護者と連絡を取って、迎えに来れた者から下校させたということです。
それぞれの家庭の事情や、通学時間帯、学校への遠近などを考慮すると、こんなときはこうすべきという統一ルールは見つかりません。
地震に備え、子供たちに大人が伝えられることは何があるのでしょう。
普段から、各家庭で、いろいろなことを話し合って、家族間で意思疎通をはかり、災害時の行動パターンをイメージしておくこと…くらいでしょうか。

地震は、起こる時期も時間帯も予想できません。
子供たちの登下校時に、地震が起こったら…
通学時の安全を考えて、まず出来ることを再確認してみましょう。
必ず、指定された安全な道を通って通学することを約束ごとにします。
災害などの緊急時、迎えに行くときも、引き返すときも、約束の道を通ってさへいれば、すれ違うことはありません。
指定された通学路を、学校だけでなく、保護者も周知徹底して、周囲の建物などの安全も定期的にチェックする習慣をつけましょう。
ブロック塀、空き家、側溝、工事現場…道路状況や、町の風景は、日毎に変わります。
時間のある時に、子供と一緒に歩いてみると、細かな変化に気付くかもしれません。
そして、今回の地震の日、思いもかけずに初歩的な行き違いがありました。
小学校が休校になるかどうかで情報が錯綜して混乱したのです。
教職員は、登校した児童の指導と、休校と判断し登校しなかった児童の安全確認との作業に追われました。
教育委員会…市長…学校の連絡メール…
どこが最高決定機関であるか、どこの情報を信じるべきか、今一度、周知徹底することが大切です。
情報網が発達したいまだからこそ、どの連絡ツールが正確がを統一して保護者に伝えておくべきです。

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