大阪北部の地震での教訓~古い寺社は倒壊する可能性がある

2018年6月18日に起きた震度6弱の大阪北部地震により、大阪府茨木市内にある寺院の山門が相次いで倒壊していたことが報告されています。
門の屋根がひっくり返って道をふさぎ、その屋根の瓦が散乱したという事です。
この他、古い神社の古壁が傾いたことも確認されています。
また、倒れた石灯籠500基のうち40基は、江戸時代以降に建てられたものであり、それ以前の物は長い年月の自然災害を乗り越えるくらい頑丈にできていたためなのか無事であったそうです。

大阪に近い京都市内では、石清水八幡宮の灯篭500基のうち約40基が倒壊するなどの被害に見舞われています。
また、浄音寺の本尊が傾いたり欄間が外れる、または国宝の茶室松庵でも壁にひびが入るといった被害が報告されています。
同寺の住職によると阪神大震災の時無事であったものの、今回の地震の方が損傷の度合いが大きいという事です。

こうしたことは地震が発生した大阪に限ったことではなく、さきの東日本大震災において震源地から離れた距離であった首都圏でも古い神社の鳥居がことごとく倒壊して落下していたことが未だに生生しく、記憶にも新しい出来事です。
倒壊した鳥居などについては、偶然そばを通行中の人がいなかった又は、とっさに鳥居の下を避けて避難ができたため被害がなく済んでいましたが、今後古い神社仏閣が多い地域で大規模な地震が発生した場合、これまで起きたことのない被害の可能性に満ちています。

大きな震災における古い神社・仏閣が倒壊する際に伴うのは危険だけでなく、その後の再建・修復問題があります。
熊本地震の際には、県内の1,000を超す神社仏閣に何らかの被害があり、再建や修復に億単位の費用が掛かるケースも出ています。
こうした地震被害の際の再建・修復費用は、文化財指定を受けていない場合は国からの補助金は受けられないことから、被災した地域の住民である門徒から寄付を集めるわけにもいかず、現在も問題となっています。

その一方で、古来からの先人の知恵により津波到達地点浸水レベルより上の土地(標高)に建立され、地震による津波の被害を受けず、地域の人々の避難場所の拠点となってきた古社も多数見受けられます。
こうした古謝では、鎮守の森の木の枝なども、津波の波の勢いを弱める働きをしていました。
かつてその地に起きた地震による大津波の教訓が残されていたためです。

現在、今後起きる自然災害への備えとして、地域の旅館やホテルと連携した新しい形の防災拠点、緊急避難場所として寺社の役割に関心が寄せられています。
歴史的に地域を見下ろす高台に建立されている立地や、信仰的にも被災の際不安に陥る住民の心の支えにもなりえるからです。

ところで東日本大震災が起きた際の神社仏閣の被害状況が研究され、神社でお祭りしているご神体により被害の多少があったことが検証されたという興味深い結果が残されています。
結論として稲荷神社は多大な被害が見られたものの、日本古来のスサノオノミコト(須佐之男命)を祭る神社や熊野神社は被害が少なかったことが確認されています。

ご利益的な解釈としては、スサノオノミコトや熊野神社は、水をつかさどる厄除けを祈願する神社であったためということが考えられます。
しかし現実的な解釈として、稲荷神社が建てられたのは江戸時代以降が最も多数であることに対し、日本の神話時代の神々を祭る神社はその数倍古いことから、過去の災害が起きるたびに安全な場所に遷座して行ったことにより、このような結果が生まれたと推測されています。

ちなみに須佐之男命を主祭神とする神社・寺院は多く、神仏混合の八坂神社をはじめ八雲神社、津島神社、天王神社、須賀神社、弥栄神社、素戔嗚神社、須佐神社、氷川神社と多くあります。
熊野神には祭神の一つとしてスサノオを祭られているのも興味深い特徴だという事です。
かつては災厄をもたらす神であったスサノオというのも興味深い史実です。

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