震災遺構とは、後世に教訓を伝えるために保存するべき建造物の朽ちた姿

震度7に耐えた本棚

「震災遺構」という言葉をよく耳にするようになったのは、忘れもしない2011年3月11日に発生した東日本大震災の存在が大きいのではないでしょうか。震災遺構とは、震災ののつめ跡を残した建物などを保存することで、後の人々に教訓を伝えようという動きを指します。しかしながら、震災に対する復興が遅々として進んでいない中で、これらの建造物に対して、多額の費用をかけてまで保存すべきなのかという反対の声が上がったりしているのも事実です。また、この震災によって大切な家族や知人を失った人たちの心の傷が癒えていない中で、保存するという行為が、辛い記憶を思い出させたり、前に進めない状況を作ってしまうのではないかという声も聞こえています。ですから、一番新しい被災地である東北地方などにおいては、市町村の議会で保存すべきか否かの話し合いがなされており、結論に至っていないのが現状です。

さて、震災遺構として、公金をあてるという観点からすると、建造物は国や市町村が認定している公共施設でないといけません。それ以外にも、被災にあった民間運営の施設はたくさんあります。しかしながら、それらまで震災遺構として残すとなると、住民たちの大多数の合意を得ることが難しいと思われます。そこで、日本国政府による費用の一部負担などがおこなわれたのですが、各地でその他の建物も残して欲しいという要望が高まっています。しかし、いったいどこまでを「被災の象徴」として扱うべきなのかが、今の時点で答えが出ていないため、事態が進んでいないという状況です。あれから約7年という歳月の中で、基本的には、震災遺構とならずに安全面なども考慮して取り壊すというケースに至った建物も多いといわれています。

ここで、震災遺構として、有名なものをいくつかあげたいと思います。まず一つ目は、陸前高田の町を襲ったあの津波から奇跡的に生き残った1本の松です。ニュースなどでも、連日「奇跡の一本松」として報道されたので、皆さんの記憶に残っているのではないでしょうか。次に、阪神淡路大震災を忘れまいという思いから、神戸港のメリケンパークの一角にメモリアルパークがあります。ここでは、震災の教訓だけでなく、港の重要性などをパネルなどを使って展示しています。また、古くは関東大震災にさかのぼり、「山手80番館遺跡」として、ほんの一部ではありますが、震災の被害状況を伝える遺跡が保存されています。その他にも、濃尾地震により生じた活断層を保存し、展示している「地震断層観察館・体験館」といったものもあります。このように、震災を経験した日本各地では、震災遺構という形で私達に恐ろしさだけ伝えるのではなく、目で見て体験することで、考えさせてくれる場所として重要な役割を担っています。

このように、後世の人々への教訓を伝える存在というメリットをもっている震災遺構ですが、震災遺構の問題は、とてもデリケートな問題であるため、震災遺構保存に対する賛成と反対の意見が拮抗しています。反対意見として、保存に充てる予算のことをいう人たちもいますが、反対する人たちの多くは、震災の辛さを忘れて前に進めないという思いが大半を占めています。果たして、どういう結論が、ご遺族やその土地に生きる住人にとって、また日本国民にとって良いのでしょうか。震災地で大切な人を失った人たちの気持ちを察すると、なかなか強く賛成とは言い難いです。しかし、日本は地震や津波によって、古くから何度も被害を被ってきました。その経験を語り継ぐことも大切ですが、語り部たちは、いずれ歳をとり、凄惨な状況を伝えられなくなるのもまた事実です。

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